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真の日本史 (1)

縄文時代にインドのドラヴィダ族だけがインドから日本に渡来したのか?
    --------<出雲への旅 3> <日本語 (続)>参照--------

この疑問をずっと抱いてきたのですが、
先日、「多摩丘陵の源義経伝説と鎌倉街道の謎」という講演会を聞く機会があり、
とても参考になることを知り得ました。

講師は古街道研究家・宮田太郎先生です。

東京と神奈川を分ける多摩川の南側に広がる多摩丘陵、、高みに登ると新宿の超高層ビル群を見渡すことができ、旧小沢城近くのお寺からは横須賀までがかつては見えたと言います。

関東平野から鎌倉に向かう鎌倉街道の中で、鎌倉街道早ノ道と呼ばれる短縮路があり、その道筋の途中・町田市鶴川(小田急線鶴川駅近く)に神蔵家という旧家が住まわれています。

そして、家伝として驚くべきことを伝承されてきたそうです。

【講演会資料より】**************

(1) 神蔵家の家伝では、始祖の「具氏」が印度のマガダ国から支那、朝鮮半島の楽浪郡、鹿児島に上陸、丹後国を経て熊野に移住。

(2) 熊野の神倉神社の神官家となり高倉下(タカクラジ神)=天香山命(アメノカゴヤマノミコト)を祀ってきた。

(3) 中世に源義経を支援するために二十六人の武士や、
  熊野の修験者を伴い、鶴川の能ヶ谷(直川)に来往したという。

(4) 戦国時代には現在の場所(香山園(かごやまえん))に元木柵・大笠館を建て、小田原北条氏綱の支援を受けて越後勢と浄土ヶ原(沢山城一帯?)で戦って勝利。

 以降も、天香山命を祀り、北天祭祀を続けてきたという。(近年まで庭に石敷きで芭蕉の木に囲まれた祭祀場があった。現在は駐車場に。)

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真の日本史 (1)_d0364262_17430081.jpeg
(鶴川駅近く、香山園)


講演の中で宮田先生は神蔵家の家紋が丸の中に五芒星を形どったもの、、北天祭祀は北を向いて北極星を仰ぐ、、と仰っていました。
(道教では北極星を太一星と呼び崇拝した。)

また、マガダ国から王に75人が供奉して移住した、と伝えられている、と。



さて最初に各項を追って、考えを巡らせたいと思います。

(1) <出雲への旅 3>にあるように、ドラヴィダ族のクナト王はシルクロードの北を回ってアムール川を降り樺太・北海道・本州へ至るルートを取りました。

マガダ国の王はシルクロードから支那に入り、朝鮮半島から九州へ入るルートを取りました。

シルクロードはチンギスハン(源義経)が支配するまで、危険で無事に通れる道ではなく、クナト王が北を回ったのは北方の民族の方が乱暴ではなく安全に通れたからです、、マガダ王は危険なシルクロードをどう旅したかは興味あるところですが、支那に無事に入れたのでしょう。<ハザール人の歴史>

グプタ朝(320年〜500年頃)はマガダ地方を領有しました、、「具氏」は「グプタ」を伝えるものでしょう。


真の日本史 (1)_d0364262_17442664.png

ドラヴィダ族は 3,500年前 縄文時代後期に渡来したとされます。

一方、マガダ地方を領有したグプタ朝は320年〜500年ですが、グプタ朝の始祖はBC240年頃にグプタ地方の小領主となったようです。

従って、BC400年〜200年を弥生時代とすると、丹後を経由していることを考えると弥生時代の来訪とみなせるので、小領主となった頃に一族の誰かを中心とする一団が東進の道をとったのでしょう。

次に、(2)を考えます、、まず熊野の神倉神社ですが、神倉山のゴトビキ岩に熊野の神々が最初に降臨された、とされます、、主祭神は天照大神・高倉下命です。

ドラヴィダ族はサイノカミ三神の下、出雲に定住して王国を作り、(出雲)熊野神社を作りました、、クマノはタミル語のクマイ(米)からきているのでしょう(出雲の言葉では神はカモです)。

(以下、富士林雅樹『出雲王国とヤマト政権』(大元出版 令和5年)から)
そして和歌山の熊野では花の窟にサイノカミの女神(クナト王の妃)を祀り、(新宮市)神倉神社では「ゴトビキ岩」と名付けられた巨岩に対して磐座信仰が行われていた(出雲の銅鐸も出土)、、これは出雲飯石郡の「琴引(ことひき)岩」と同じ名だ。

そして、第一次モノノベ東征で、九州から四国の南を経て熊野にモノノベ勢が上陸し、熊野川の中洲に住んだ、、後世に、熊野を中心に各地に広がって住み紀伊国、志摩国方面にも住んだ。

(BC3世紀頃、三回目の渡来で北九州に上陸した徐福=饒速日=ホアカリ=スサノオは宗像王家の三女・市杵島姫を妃とし、その子ヒコホホデミの家がモノノベ氏となった。)

徐福は息子・五十猛(カゴヤマ)を率いて丹波を治め、出雲・神門臣王家のアジスキタカ彦の娘・大屋姫がカゴヤマ(アマべ家)の妃となった、、大屋姫はその息子・タカクラジ(高倉下)と共にカツラギに移る、、後にタカクラジは和歌山県紀の川河口付近に移った。

カゴヤマの異母兄妹(父徐福)であるモノノベ氏の穂屋姫をカゴヤマは妃に迎え、生まれた長男が村雲(海(あま)村雲)だった、、村雲がカゴヤマの後を継いで丹波の王となった、、村雲はハタ族を率いてヤマトに移る、、そして高尾張村に住んだのでアマべ家は尾張家とも呼ばれた。

当時ヤマト中央部は沼地で、香具山は沼の中の島のようだった、、その姿が蓬莱島(<丹後(丹波)への旅> <丹後(丹波)への旅 2>参照)に似ていたので、村雲はそこに父・香語山命をまつる社を建てた、、それで山は「アマノ香具山」になった、、香語山命の字は香具山となった。


以上が(1)、(2)を考えるのに富士林著『出雲王国とヤマト政権』から押さえておくべきことがらになります。

また、丹波(丹後)については、
を参照のこと。

   *    *    *    *

では、伝承についてさらに考察しましょう。

神蔵家は九州から丹波に行っていることから、徐福に従って日本に渡来したことは間違いないでしょう。

ドラヴィダ族クナト王あるいはマガダの「具」氏は、何故東に向かったのでしょう、、実はアムール川・満州・シルクロード周辺の民族は日本のことをよく知っており往来も縄文時代から行われていました。

バイカル湖近くのブリヤート人商人がクナト王に道を教えたのでしょう、、坂上田村麻呂に捕らえられたアテルイもシルクロードのトルコ系民族で日本に渡ってきたのでしょう、、もっと後の鎌倉時代には日蓮宗の高僧二人が満州に渡って布教しています、、「具」氏も当然日本についての知識を持っており、シルクロードから支那に到達してもなお日本を目指していたのです。

そして徐福の日本征服に加わったのです。

縄文出雲王国の日本に渡来して、徐福とその軍勢は勢力を広げてゆきます、、各地に残る蘇民祭(奥州への旅>)がその様子を伝えています、、やがて、武家として各地に勢力を張ることになります。

神蔵家は熊野にやってきました、、神倉神社も元は出雲の信仰の場だったのでしょうが、<丹後(丹波)への旅丹後(丹波)への旅 2>で示したIJ系神社になっていたのでしょう、、あるいはJ系に変わりつつあるところ、、あるいは神蔵家がJ系に変えるのに力を発揮していたのかもしれません。

祀ったのはタカクラジ神=アメノカゴヤマノミコトだとしていますが、上に述べたように、タカクラジはカゴヤマの息子であり、紀の川河口付近に移ってきました、、従って、タカクラジ神はもっともとして、何故、アメノカゴヤマノミコトと同じとされるのかが???です。

カゴヤマは丹波(丹後)にいて、その子村雲がヤマト初代大王となり「村雲ノ剣」の持ち主です、、村雲は火雷神社(葛城市笛吹)を建て、香語山命を祀った、、神社の案内板に『天香山(海香具山)命は音楽と鉄工業の祖神である』と書かれています。

つまり、神蔵家の伝承は、急にカゴヤマに変わって、鶴川に残る香山(かごやま)園、そしてアメノカゴヤマノミコトを祀る祭祀を続けてきた、、というのがやや腑に落ちないのです、、熊野系からヤマト系に話が突然変わる気がするのです。

しかし、丹後にいた頃にカゴヤマを祀っていたのでしょう、、紀伊国ではタカクラジを祀る神社の神官を務めていたとしても。

そして、鶴川ではカゴヤマを祀る気持ちが優先されたのでしょう。

また、北天祭祀を続けてきた点も興味深いところです、、徐福は道教の方士であり北極星・北斗七星を山に登って拝みました、、神蔵家は道教の教えも強く守っていたわけです、、だから神官(豪族)として紀伊国にも行ったのでしょう、、そして修験者も従えていたのでしょう。

では、なぜ鶴川か、というと、義経は頼朝に合流する前に鎌倉街道に近い多摩川の南岸に二、三年滞在していたらしいのです。

東京都府中市・日野市・町田市や川崎市多摩区・麻生区の多摩丘陵には源氏伝説地が多数あり、義経・弁慶に関わる伝承や社などが多くあります、、弁慶の「二枚橋」、弁慶の鍋転がし(坂)、九郎明神社などなどです。

そこで、このあたりを目指して神蔵家は馳せ参じたのでしょう。

北方から攻めてきて、多摩川を渡れば、鎌倉まで大きな障害はなく進めます、、多摩丘陵には義経の他に頼朝、北条政子などに関係する事跡が残っています、、鎌倉から見てここは重要防御線だったのです、、鎌倉街道早ノ道のそばには足利尊氏が鎌倉に向かうとき通ったという道も残っています、、頼朝が重要なこの場所に義経をしばらく備えとして置いたとしても不思議はないでしょう。


徐福が秦の始皇帝に船団・人員を出させた時、徐福はユダヤ人を多く選んだようです、、始皇帝自身がユダヤ人であり、イスラエルを意味する蘇州をはじめ、斉の国はユダヤ人の国でした、、そして、秦氏=ハタ氏と縄文出雲人から呼ばれる集団となったのです。

そして、インドから支那に到達していた神蔵家の先祖はこの機会を逃さず日本に渡来したのでしょう。

簡潔な伝承は、流れを凝縮して伝えます、、そして歴史の流れと正確に対応し、反映しています。


最後に道教のことについて、メモしておきます。

(古代)ユダヤ人がヤハウェを唯一神とする完全な一神教だったのか、疑問があります、、精霊とか悪魔とかも色々いたのではないでしょうか、、そして、シルクロードをひょっとすると何世代もかけて移動してくる間、動かない北極星、それを示す北斗七星に信仰心を寄せて行ったのではないでしょうか、、山に登って礼拝するのはモーセに習ってでしょうか。

剣道に北辰一刀流という流派がありますが、北極星からきた名です、、天皇という言葉も北極星に関わってできた語なのでしょうか。

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by ymmatheb | 2025-08-13 17:43 | Trackback | Comments(0)

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