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大和とはヤマトのことか、と、、、

(日本・大日本・ニホン 22)


ヤマトが大和になるまで

文化が移植するためには、人が移ってくるのが最も素早い方法です。
南米から来た人々が、行事(祭り)でジャガイモ料理を作った時、一口食べて驚きました、、当地の材料でも味わったことのない彼の地の味が出ているのです。
言葉・文字に関しても、使える人々がやってくるのが早道です、、漢字の使用にあたってもきっとそうだったでしょう。

旧約聖書の民ユダの人々が、日本の支配的勢力になって来て、「古事記」を作成しようとしたのは当然の欲求だったのでしょう。
稗田阿礼もユダ人でしょう(アリーはヘブライ語ライオンの意)、、伊邪那岐命(イザナキノ命)も「みづら」を垂らしています(「古事記」上巻 伊邪那岐命と伊邪那美命 五 黄泉国)。
阿礼はギリシャ神話の知識まで動員して、古事記を作り上げます。
秦氏ユダ人は、(数世代かかったかもしれない)日本への渡来の途中、直近で滞留していた支那大陸の文字を使うことにしました。
(ヘブライ語は片仮名といくつかの語彙に今も残っているようですが。)
そして、漢文そのままに書き下すか、万葉仮名として漢字を表音文字に使うか、どちらかあるいは両方で使い始めたのでしょう。
しかし、どちらも帯に短し襷に長しの表記法だったのが、漢字の訓読みという技で適切な書き言葉を作り出せたわけです。

初め、支那で日本という国を指すのに使われていた「倭」をそのまま使い、「ヤマト」と読ませました。
(田中先生は「ヤマト」は山人であり、「アマ」の海人と対をなし、、前者は日高見国・ヤマトの人々で後者は渡来したユダの人々を指す、と仰っています。)
「倭」は支那人が蔑称として用いていた日本の呼称であることを、秦氏ユダ人はもちろん承知していたでしょう。

秦氏が日本・ヤマトの国の住人という自覚を深めて行ったとき、蔑みの色を消すために「大」をつけて「大倭」として「ヤマト」にあてました。
日本への同化がさらに進むと、蔑みの「倭」という字を日本に馴染む「和」に変えて、「大和」を「ヤマト」に充てました。
こうして、大和=ヤマトが定着して行きます。

この過程は、秦氏が日本に渡来し、日本への同化の道を歩み、ついには完全に日本人という自覚を持つに至ったことを示しているのではないでしょうか。

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また、ヤマトに「日本」をあてるのは「日高見国・縄文人」の人々が、秦氏ユダ人が操る漢字を自分でも習得するにつれて生まれたものでしょう。
日を高く見る国・日出る国・日の本の国から、ヤマトという国号には「日本」をあてるべき、、とすぐに思い至ったでしょう。


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大和(ダイワ)証券------大和(ヤマト)運輸、、等々を見るにつけ、大和がヤマトの音と全く結びつかないのを不思議に思ったのは小学生の頃でしょうか。
今、すっきりと分かった気がします。

なお、日本を指すのに「和国」と書いたり言ったりするのをよく見かけますが、これは良くないと思います。
蔑称「倭国」をそのまま使うのとほとんど同じことではないか、と感じてしまうのです。
ヤマトを「大和」と書くのは容認するとして、「和国」は見たくない表記です。
「和訳」とか「英和辞典」も止めたいものです、、「日本語訳」「英日辞典」とすべきです。
逆に彼の地は「支那」ときちんと表記しなくてはいけないのです。

支那は、偽の「金印」なるものを見つかるように九州に置いたりしましたが、東南アジアでもあちこちに怪しい遺物を見つけられるように埋めたりしています、、そして、それを根拠に古来から自分の領土と主張するわけです。
今では、この手間も省いて、南沙諸島の島嶼・岩礁を土砂とコンクリートで埋め立てて、支那領と主張しています。


by ymmatheb | 2023-10-26 09:16 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

わからないことを理解できるまで追求します。数学と合唱ではできるまで。


by 九天
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