シャーロッツビルから始めた、、、7
2018年 06月 01日
南アフリカで起きている、白人に対する暴力について、次の記事が目に止まっていながら、ずっと放っていました。
興味を惹かれるところがあったので、これをメモしておきます。
《https://www.thesouthafrican.com/no-land-was-stolen-mosioua-lekota/》
『ザ サウス アフリカン』
モシワ 『テロ』レコタは、簡単な歴史の話をしたときの、群衆からのヤジと『セル アウト』の叫び声に耐えました。
2018年(平成30年)4月30日 シヴィウェ ブレックファスト
南アフリカ大学が開いた「#土地ディベート」の、レコタは招待講演者の一人でした。
国民会議(Cope)の指導者のモシワ レコタ(元国防相、69歳)は、ヨーロッパ人の植民者に抵抗してたくさんの戦争を戦った黒人を、徐々に衰えさせながら土地が盗まれていった話を語った。
『我々、バンツー族が来た、そして彼ら(コイ族とサン族)に勝った、、、我々は支配権を得た』とレコタは言った。
『そしてヨーロッパ人は1480年(戦国 後土御門天皇 文明12年)代にやってきた、1652年(江戸 承応元年)ではない。
ヨーロッパ人がやって来た時、洗練された武器を携えていた。
ヨーロッパ人は、ゆっくり着々とやって来た。』
レコタは、オランダ人植民者はヤン ヴァン リーベークに率いられて1652年(江戸 承応元年)に喜望峰に着いたが、彼らはヨーロッパから逃げ出した一群の『実業家(ビジネスマン)』だった、と語った。
『我々の土地は盗まれたと言う人々もいる』とレコタは続けます。
『それは我々を見くびっている。
土地は盗まれたと言えない。
我々は戦った。』
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『「盗まれた」と言う語は、とても不適当だ。
例えば、どんな風だったのかケープを見てみよう、、、始めはコイ族とオランダ人の間の交渉、そして後にはもちろん英国人との交渉があったが、しかしそこで所有権が導入された。その時までは所有権というものはなかった。』
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ヤジられた(白人の)論理は、要約すると以下のようなものでしょうか。
【白人はバンツー族よりも先にこの地に到達していた。
白人ビジネスマンは、コイ族と交渉して土地の所有権を得た。
バンツー族がやって来て、争いが起きたが、白人が携行していた武器が優れていたので白人が勝って守った。】
『セル アウトsell out』というヤジは、『寝返りだ』という意味ですね
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1480年(文明12年)という年に興味を引かれたのと、土地の所有権のところが面白かったので、この記事をキープしていました。
南アフリカ人にヤジられるということは、ここで述べられたことは南アフリカ人には不愉快なことなのでしょう。
南アフリカ大衆(黒人)にとって『土地は盗まれた』ものなのです。
少なくとも当時の南アフリカ人は、白人のように土地を囲い込んで私有化する、という観念はなかったのでしょう。
所有権に関しては、アメリカ大陸のネイティブの人々にも通底することでしょうか。
レコタは黒人ですが、国民会議という政党には白人が多いのでしょうか。
白人の論理・歴史に洗脳されています。
これはニホンにもたくさんいます。
米占領軍の教育を受けた戦後生まれなどは、ほとんどがそうでしょう。
団塊の世代の方々の洗脳が解ける時は、来るのでしょうか。
「司法取引」が導入されるそうですが、白人の嘘と人を陥れるのは当たり前・しつこい自己主張と自己正当化・謝らないための論理の駆使という、日本人とは全く異なる性向に基づく制度です。
しかし、ロー スクール(法科大学院)・陪審員(裁判員)制度、、と続きますね。
米占領軍は手綱をゆるめませんね、大量移民も推し進めて。
株式はすっかり乗っ取られてしまい、CEOだのコンプライアンスだのとなってしまいましたが、、、
CEOも米国人、裁判長も米国人、、、としたいのでしょう。
プロ野球もメジャーの下部リーグとなりました(下請け度は霞が関よりは小さいのですか)。
Divide and Rule をまた見てみたいと思います。
なお、上の白人の特徴は、分厚い契約書・膨大な判例集・読みきれない議事録を生み出し、白人社会はこれがないとやっていけないのでしょう。
それでも、相次ぐ訴訟の山が続きます。。。
(ただ、この性向が、西欧の数学・物理学・化学を生み出したことは間違いありません。
どこまでも論理をかぶせてゆくのは、、、自然を相手の訴訟・ディベートだったのですね。
アンリ ファーブルは蜂やスカラベを被告席に座らせて、何年も法廷論争を続けました。)
参考:
《トランプとアメリカのファシストである先祖 1》(3まで続く)
《黒人はアンクルサムの清掃チームになってはいけない 1》(4まで続く)
《ニューオリンズ・デトロイト・サンファンを通して見たラスべガス大量殺戮 1》(5まで続く)
《米国政府は、、、 1》(3まで続く)
「米国からナゼ世界を守るべきなのか」
《世界の軍事力 5「ベネズエラ」》(8まで続く)
「ベネズエラ:狂犬帝国の復讐」
《フロリダの二人 1》(4まで続く)
《米憲法修正第二条 1》(6まで続く)
「修正第二条による急進的黒人防衛」
《サッカーに明け、サンバに暮れる? 1》(4まで続く)
「ブラジル『黒人』に遠慮は無用」
《シャーロッツビルから始めた、、、1》(4まで続く)
「テロの犠牲者たち:ステファン ハウス・ドレーラン メーソン・ステフォン クラーク」
《シャーロッツビルから始めた、、、5》(6まで続く)
「インディペンデント」
「ザ サウス アフリカン」
by ymmatheb
| 2018-06-01 07:07
| 時事
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